オダマキ(苧環)
ヤマオダマキ(山苧環)

オダマキという名の花はない。この仲間の総称。
日本にはヤマオダマキ系とミヤマオダマキ系が生育する。
特に黄色一色のヤマオダマキは大変きれいだ。
この花が咲くたび思い出すことがある。源義経の愛妾の白拍子静御前のこと。
頼朝に追われ吉野山へ逃げるが捕らえられて鎌倉へ送られる。そこで頼朝に
請われ
舞を披露することとなった。その場で、静御前は和歌2首を詠んでいる。
「しずやしずしずの苧環繰り返し昔を今になすよしもがな」
これには本歌があり、伊勢物語の中の「いにしえのしずのおだまき繰り返し
昔を今に
なすよしもがな」で、もう一首は「吉野山みねの白雪ふみわけて入りにし人
(義経)の跡ぞ恋しき」
こちらも本歌があり古今集の「みよし野の山の白雪ふみわけて入りにし人の
おとずれもせぬ」である。義経への恋慕の歌のため、頼朝は激怒、しかし夫人
政子は褒めたたえ、頼朝も機嫌を直して褒美を与えたそうだ。白拍子は遊女と
はいえ貴族の屋敷に出入りすることも多かったため、見識の高い人が多く教養
の高さが伺える。
シロバナミヤマオダマキ(白花深山苧環)

ヤマオダマキ(山苧環)

オダマキという名の花はない。この仲間の総称。
日本にはヤマオダマキ系とミヤマオダマキ系が生育する。
特に黄色一色のヤマオダマキは大変きれいだ。
この花が咲くたび思い出すことがある。源義経の愛妾の白拍子静御前のこと。
頼朝に追われ吉野山へ逃げるが捕らえられて鎌倉へ送られる。そこで頼朝に
請われ
舞を披露することとなった。その場で、静御前は和歌2首を詠んでいる。
「しずやしずしずの苧環繰り返し昔を今になすよしもがな」
これには本歌があり、伊勢物語の中の「いにしえのしずのおだまき繰り返し
昔を今に
なすよしもがな」で、もう一首は「吉野山みねの白雪ふみわけて入りにし人
(義経)の跡ぞ恋しき」
こちらも本歌があり古今集の「みよし野の山の白雪ふみわけて入りにし人の
おとずれもせぬ」である。義経への恋慕の歌のため、頼朝は激怒、しかし夫人
政子は褒めたたえ、頼朝も機嫌を直して褒美を与えたそうだ。白拍子は遊女と
はいえ貴族の屋敷に出入りすることも多かったため、見識の高い人が多く教養
の高さが伺える。
シロバナミヤマオダマキ(白花深山苧環)

科学で解明出来ない奇跡
世の中に起きることはほとんどのことは説明がつくが
全く説明の出来ないことが起きることがあることを目の
前で見た。
比叡山の千日回峰を2度萬行されてる酒井雄哉阿闍梨さんを
大変尊敬している。私同様、姉もずいぶん昔から阿闍梨さん
のところへお邪魔しているが、阿闍梨さんが千日回峰をされた
時に使われていた「わらじ」を1つもらってきていた。
2月21日に姉婿さんが亡くなった。棺に入れる時に姉はその
「わらじ」を足に履かせた。
葬儀を終えて火葬に、骨上げの時に奇跡が起きた。何と高温の
中であのわらじが焼けることなく残った。色は灰色に変化して
いたが手で触ってみたがわらじそのままの感触だった。
さて、これどう説明したらいいのだろうか?千度を超える高温
の中、骨を残してすべてのものを焼き尽くす中でわらで編んだ
わらじが何故焼けないのか真に不思議だ。阿闍梨さんの念がそれ
だけ強かったのだろうか?
酒井阿闍梨さんのわらじが焼けなかった話は母からもう20年も
前に聞いたことがあったが、その時には信じられなかった。
世の中に起きることはほとんどのことは説明がつくが
全く説明の出来ないことが起きることがあることを目の
前で見た。
比叡山の千日回峰を2度萬行されてる酒井雄哉阿闍梨さんを
大変尊敬している。私同様、姉もずいぶん昔から阿闍梨さん
のところへお邪魔しているが、阿闍梨さんが千日回峰をされた
時に使われていた「わらじ」を1つもらってきていた。
2月21日に姉婿さんが亡くなった。棺に入れる時に姉はその
「わらじ」を足に履かせた。
葬儀を終えて火葬に、骨上げの時に奇跡が起きた。何と高温の
中であのわらじが焼けることなく残った。色は灰色に変化して
いたが手で触ってみたがわらじそのままの感触だった。
さて、これどう説明したらいいのだろうか?千度を超える高温
の中、骨を残してすべてのものを焼き尽くす中でわらで編んだ
わらじが何故焼けないのか真に不思議だ。阿闍梨さんの念がそれ
だけ強かったのだろうか?
酒井阿闍梨さんのわらじが焼けなかった話は母からもう20年も
前に聞いたことがあったが、その時には信じられなかった。
当、「天竺菩提樹を育てる会」顧問の前田行貴博士が新しく
本を出版された。一昨日送っていただいた。
題名はインドに伝わる2大抒情詩の一つラーマーヤナ物語
(ヴァールミーキ作)の語り訳。
古代のインドの人たちの善意と有理への道の追究の抒情詩。
それと共にわが国にも大変縁が深く、752年東大寺大仏
開眼供養式典にヴェトナムの僧「仏哲」が「ラーマーヤナ」
の一節をパリ舞として演じ、以来宮中舞楽として伝承された。
又、桃太郎の鬼退治や中国の孫悟空の物語の源流となっている。

又、3月下旬にはブッダが説いた「悟り」と「健康」への道を
断食暦60年の先生が人々への伝授本
「釈尊の断食と呼吸法」を出版される。題字は同じく菩提樹の会の
顧問の小田玉瑛先生が書かれた。

前田博士経歴
1926年熊本県生まれ。熊本大学理学部研究科(植物生理生態学)終了。
スエーデン・ヴプサラ大学留学(土壌微生物学専攻)。植物学専攻の理学博士。
熊本大学理学部教官の時、1955年マハトラ・ガンディーの非暴力によるインド独立に心うたれ交換教授に応募、渡印。ガンディー没後のアシュラムで労働と祈り生活を体験。そのままインドに止住。ワルダ大学、マハトマ・ガンディー大学、パンジャブ大学教授。アジア救ライ協会主事を歴任.約45年在印、帰国。
元日印教育協会総裁、国際研究アカデミー名誉会員。
17歳の時断食を体験し、虚弱体質を克服して以来60余年、満月の3日間の断食と毎年12月1日〜8日の断食を実践、世界の国々を回り、世界の宗教、文化、教育、健康法(食養、断食、ヨーガ、呼吸法)を学び、研究指導を続け、地球上に真の健康法と福祉を実現することを念願し普及活動を行う。
1956年インド初代ネール首相のもとに挙行された仏滅2500年大祭に日本の国賓とともに選ばれ、特別列車で全仏跡地を巡拝。これがもとで、東大寺、薬師寺、比叡山、高野山、鞍馬寺、東西本願寺等の関係者、仏教関係者、仏経研究者を中心とした仏跡案内は200回に及ぶ。
1963年からマザー・テレサとともにボランティア野外治療に参加。マハタマ・ガンディーの子息からは生前のガンディーの生き方を毎日のように夕食時、自宅に招かれて聞く。インド政府から認められ、国際理解名誉博士の称号とデカン高原の100エーカーの土地を寄贈され、不可触住民階級の人たちに農業、医療、教育の場として「アナンニケタン・アシュラム(安らぎの里)」設立。
本を出版された。一昨日送っていただいた。
題名はインドに伝わる2大抒情詩の一つラーマーヤナ物語
(ヴァールミーキ作)の語り訳。
古代のインドの人たちの善意と有理への道の追究の抒情詩。
それと共にわが国にも大変縁が深く、752年東大寺大仏
開眼供養式典にヴェトナムの僧「仏哲」が「ラーマーヤナ」
の一節をパリ舞として演じ、以来宮中舞楽として伝承された。
又、桃太郎の鬼退治や中国の孫悟空の物語の源流となっている。

又、3月下旬にはブッダが説いた「悟り」と「健康」への道を
断食暦60年の先生が人々への伝授本
「釈尊の断食と呼吸法」を出版される。題字は同じく菩提樹の会の
顧問の小田玉瑛先生が書かれた。

前田博士経歴
1926年熊本県生まれ。熊本大学理学部研究科(植物生理生態学)終了。
スエーデン・ヴプサラ大学留学(土壌微生物学専攻)。植物学専攻の理学博士。
熊本大学理学部教官の時、1955年マハトラ・ガンディーの非暴力によるインド独立に心うたれ交換教授に応募、渡印。ガンディー没後のアシュラムで労働と祈り生活を体験。そのままインドに止住。ワルダ大学、マハトマ・ガンディー大学、パンジャブ大学教授。アジア救ライ協会主事を歴任.約45年在印、帰国。
元日印教育協会総裁、国際研究アカデミー名誉会員。
17歳の時断食を体験し、虚弱体質を克服して以来60余年、満月の3日間の断食と毎年12月1日〜8日の断食を実践、世界の国々を回り、世界の宗教、文化、教育、健康法(食養、断食、ヨーガ、呼吸法)を学び、研究指導を続け、地球上に真の健康法と福祉を実現することを念願し普及活動を行う。
1956年インド初代ネール首相のもとに挙行された仏滅2500年大祭に日本の国賓とともに選ばれ、特別列車で全仏跡地を巡拝。これがもとで、東大寺、薬師寺、比叡山、高野山、鞍馬寺、東西本願寺等の関係者、仏教関係者、仏経研究者を中心とした仏跡案内は200回に及ぶ。
1963年からマザー・テレサとともにボランティア野外治療に参加。マハタマ・ガンディーの子息からは生前のガンディーの生き方を毎日のように夕食時、自宅に招かれて聞く。インド政府から認められ、国際理解名誉博士の称号とデカン高原の100エーカーの土地を寄贈され、不可触住民階級の人たちに農業、医療、教育の場として「アナンニケタン・アシュラム(安らぎの里)」設立。
























































